沿革

history

1957
4月

大阪市福島区大開町にて創業

創業者は、当時まだ十分な生活がままならない中、一人の旋盤工として日々懸命に働いていました。「家族を守り、しっかりと生計を立てたい」という強い思いから独立を決意。
こうして、三陽は下請けの旋盤加工業者として、ものづくりの第一歩を踏み出しました。

1965
4月

東大阪に工場を移転し、三陽製作所と改名

東京オリンピックが終わり、景気が次第に冷え込んでいく中、あえて前を向き工場を少し拡張すべく東大阪へと移転。この頃から旋盤加工にとどまらず、新たな分野の仕事にも挑戦し始めました。その中で、後に主力事業となる押出機部品の加工へとつながる取引先とも出会いました。

1973
12月

工場を新設

東大阪にて新たに工場を新設、新しい旋盤の導入によって加工の幅が大きく広がりました。続いて三陽初のマシニングセンタも導入し、押出機部品の加工も少しずつ手がけるように。しかし、第一次オイルショックの影響もあり、工場新設後しばらくは厳しい時期が続きます。
そんな中、「お客様のために」という真摯な姿勢が少しずつ伝わり始め、信頼を築いていきました。

1988
10月

株式会社三陽に改組、美原工場新築

自社の力で未来を切り拓く――その決意をさらに形にするため、押出機部品の本格加工に向けて、美原工場を新設。大型旋盤による長尺や大径部品の加工、マシニングセンタによる精密穴加工やフランジ加工、内径研磨機による内径仕上げ、平面研磨機による高精度な面精度確保、そしてバフミガキによる美観と耐摩耗性の向上。押出機部品の製造に求められる一連の加工工程に対応できるよう、専用設備を一通り導入しました。
この強化された技術体制のもと、(株)クボタが開発するHIP(Hot Isostatic Pressing)シリンダーの下請け加工も本格的に始動。HIPシリンダーは高精度な寸法管理が不可欠。これらの要求に応えるための技術力と設備投資が評価され、当社の挑戦はひとつの確かな信頼へと実を結ぶこととなりました。

1998
4月

大阪府八尾市に弓削工場新設し、東大阪・美原工場を統合する

事業の拡大に伴い工場が手狭になってきたことを受け、分散していた生産拠点を弓削工場へと一本化。熟練の職人たちが集まり、設備もさらに充実。効率化と技術力の向上が進み、現在の三陽のものづくりの基盤が、この時代に確立されたと言っても過言ではありません。
バブル崩壊という逆風の中にあっても着実に実績を重ね、2004年には売上が初めて5億円を突破。地に足をつけた挑戦の積み重ねが、確かな成果として結実し始めた時期でした。

2009
2月

新本社工場(亀井工場)の新設

さらなる事業拡大を見据え、現本社である亀井工場を新設。大型スクリューやシリンダーといった長尺・高精度部品の加工にも対応できるよう、最新設備を導入し、技術領域を大きく広げました。
しかし、その当時はリーマンショックが発生。翌年には売上が30%減少するという厳しい状況に直面します。それでも、社員一丸となって立て直しに取り組み、翌年からは業績が回復。以降は右肩上がりの成長を続けています。
現在、現場の中心を担うのは40代の技術者たち。業界としては比較的若い構成ですが、さらなる飛躍のために、20~30代の若手採用と技術の継承にも力を入れています。
「三陽になら、安心して任せられる」――お客様にそう思っていただける存在であり続けるために、私たちはこれからも、技術を磨き、人を育て、信頼に応えるものづくりを追求してまいります。

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